環境保全センター・半夏生草 |
七十二候(しちじゅうにこう)には、「半夏生(はんげしょうず)」すなわち半夏(カラスビシャク)が生えるころとある。
また、一説にはハンゲショウ(別名:カタシログサ)という草の葉が、名前の通り半分白くなって化粧しているようになる頃ともいわれている。
かつては夏至(げし)から数えて11日目とされていたが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日としているようで、天文学にあまり興味のないものには、ピンとこない。
毎年7月2日頃にあたり、この日を忌日とし、「天から毒気が降り、地上に毒が満ちる日」とされて、この日から5日間は、農作業を休みとした風習もあった。
また、天から毒気が降ると言われたことから、井戸に蓋をして毒気を防いだり、井戸から水を汲んで飲んではいけないし、この日に採った野菜や山菜なども食べてはいけないなどの言い伝えがあった。
また、三重県の熊野や志摩の沿岸地方などでは、この時期には「ハンゲ」という妖怪が徘徊するとされ、農作業を行うことに対する戒めともなっていた。
古くから農家には、「半夏半作」という諺(ことわざ)があり、天候不順などで田植えが遅れていても、半夏生までに田植えが済めば、少なくとも平年の半分程度の収穫は望めるというもの。
逆に、この日を過ぎてもまだ、田植えが終わっていないようでは、その年の収穫は半分も望めないなどと言われていた。
かって、税(年貢)や小作料を収穫した米で納めていた農民にとって、その年の農作物の出来不出来は、死活問題であったことから、この日までに麦刈りや、田植えの農作業を終えておくようにと言った戒めでもあり、農家にとっては大事な節目の日でもあったことが想像できる。
また、この日の天候によって稲作を占ったり、この日に降る雨を「半夏雨(はんげあめ)」、または「半夏水(はんげみず)」とも言い、大雨になることも多く、その年は大雨が続くとも言われてきた。
厚木・県立環境保全センターの半夏生 |
また、四国の讃岐地方(香川県)では、麦の刈入れや田植えが終わる半夏生の頃、その年に収穫された小麦でうどんを打って農作業を手伝ってくれた人達に振舞っていた。
さらに、福井県大野市では、江戸時代に大野藩藩主がこの時期に農民に焼き鯖を振舞ったという逸話があり、現在もこの日に「サバの丸焼き」を食べる風習が残されていて、この地方の風物詩にもなっている。
伊勢原・日陰道の烏柄杓 |
夏至(げし)を過ぎる頃、穂状の小さな花をつけるが、同時期に花のすぐ下に位置する一部の葉の表面が白く変色することから、別名を「半化粧」あるいは「片白草(カタシログサ)」とも呼ばれている。 受粉のための虫を誘う花弁の役割をしているのではないかとも言われていて、花の時期が終わる頃(8月下旬)には、再び元の緑色に戻ってしまう不思議な植物である。
一方、七十二候に記す「半夏(カラスビシャク)が生えるころ」のカラスビシャク(烏柄杓)は、サトイモ科の多年草で、山間地の畑や道端に自生し、球形の地下茎を乾燥させたものが「半夏」と言われる生薬として、古くより「半夏湯(はんげとう)」や、「半夏瀉心湯(はんげしゃしんとう)」などの漢方薬に配合される。
近年は、田植え作業も機械化と稲の品種改良などにより、梅雨入り前の短期間に終えてしまう。
また、都市近郊では宅地開発などによりこれらの植物の生育環境が崩壊し、見かける機会もほとんどなくなってしまった。 そして 「半夏生」という言葉自体や、風習も忘れ去られようとしている。
かって(1970年代)、日本人は「列島改造論」などという幻想に浮かれ、フォークシンガー・泉谷しげるは「春夏秋冬」で、「季節のない街に生まれ、風のない丘に育ち、夢のない家を出て、愛のない人にあう」と歌った。
季節感のある環境を破壊し、季節感のない街並みがいたるところに造られ続けられた。 結果、季節感のある言葉も消滅していってしまうのは残念である。
尚、俳句では七十二候の一つの季題「半夏生」と、植物の「半夏生」を混同しないように「草」を添え「半夏生草」と表記して「はんげしょう」と5音で読みならわせられていて、片白草(かたしろぐさ)/半夏草(はんげぐさ)などと詠むこともある。
季語としては、このほかにも単に「半夏」とすることもあり、またこの日降る雨を「半夏雨(はんげあめ)」と詠むこともある。
”風鈴の 夜陰に鳴りて 半夏かな” (飯田蛇笏)
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