稲穂が首(こうべ)を垂れ、黄金(こがね)色に輝くこの時期、田んぼに案山子(かかし)の風景は定番であった。
竹・藁(わら)を材料として人の形をつくり、蓑傘(みのかさ)に古着などを着せ、弓矢などを持たせて田畑の中に立てて雀など稲穂を啄む鳥獣を威し、その害を防ぐもので、別名「山田の僧都(そおず:そほづ)」ともいい、その他に鳴子や鳥威しなどもこの類(たぐい)である。
「案山子(かかし:かがし)」の由来については諸説あるようだが、一説には古くは人形ではなく鳥獣の肉や毛を焼き焦がして串に通し、地に立て、その悪臭を嗅(か)がせて害鳥獣を追い払ったことから「嗅(か)がし」が語源となり、これを「かがし」と呼ぶようになったのではないかとも言われている。
現在では「かかし」が一般的な呼称であるが、長野・岐阜・愛知などでは「ソメ」、徳島・種子島では「シメ」、北陸・近畿・中国・四国・九州の一部では「オドシ」などとも言った。
古くは、「古事記」の出雲の大国主命(オオクニヌシノミコト)の国造り神話に、知識・知恵の神「久延毘古」(クエビコ)として登場する。
” ある時、大国主命の一行が出雲の御大之御前(みほのみさき)にやってくると、波のかなたより天之羅摩船(あめのかがみのふね)(ガガイモのさやでできた船)に乗り、蛾の皮を衣服として漂着してきた神様がいた。
大国主命は、その名を尋ねたが何も答えず、家来の神々に聞いても、誰もその素姓を知らなかった。 その時、多邇具久(たにぐく=ヒキガエル)が進み出て、「これは久延毘古((くえびこ)=(山田の案山子(かかし))がきっと知っておりましょう」といったので、さっそく久延毘古を呼び尋ねると、「これは、神産巣日(カムムスヒ)神(神皇産霊尊)の御子・小名毘古那神(スクナビコナ)でございます」と答えた。
神産巣日(カムムスヒ)は、「わが子のうちで、手俣(たなまた)より漏(く)きし子ぞ」(これは確かに私の子で、私の掌からこぼれ落ちた子である)と言い、そなたと兄弟になり、共に国を作り固めるがよい。」と告げた。
この後、「大国主」と「小名毘古那」の二神は、力を合わせて国土開拓、農耕文化の普及によりこの国の基礎を築いたとされている。 ”
「久延毘古」(クエビコ)は、案山子(かかし)が神格化されたものとも言われ、国造りの基盤である農耕を補佐する神、あるいは案山子そのものを田の神(農耕神)、地神として呼称する地域もあった。 また、かかしはその形状から神の依代(よりしろ)とされ、地方によっては山の神信仰と結びつき、秋の収獲祭や小正月行事のおりに「かかしあげ」と称する祭礼を行う地域などもあった。
その餅を焼く火はカカシの笠をこわして焚き付けとするところもあり、また蛙が供え餅を背負ってカカシの昇天にお供するという伝承の残る地域などもあった。
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ちなみにアメリカの作家、ライマン・フランク・ボームは、小説「オズの魔法使い」で、藁(わら)のカカシを脳みそ(知恵)がなく、ばかにされている対象として登場させている。
物語は、アメリカ・カンザス州の田舎町に住む主人公の少女・ドロシーが、ある日、竜巻に巻き込まれ、オズの魔法使いが住むという国へと飛ばされてしまうところから始まる。
故郷カンザスに帰りたいドロシーは、願いを叶えてくれるというオズの魔法使いに会うために旅をするが、その途中で、脳みそ(知恵)がなく、みんなからばかにされているカカシや、心臓(思いやり・愛)のないブリキの木こり、勇気(力)がほしい臆病なライオンなどと出会い、一緒になって旅を続けながら様々な困難に出会うも、それぞれに力をあわせてひとつひとつ乗り越えていきます。
最後に「オズの魔法使い」が住むという都へとやっと辿り着き、魔法使いに会うことが出来たが、実はその魔法はインチキで、願い事が叶えられずにがっかりするドロシーと3人の仲間に、「オズの魔法使い」はこう言うのです。
「おまえたちは、もう知恵も、愛も、勇気も持っているじゃないか」と。
脳みそ(知恵)のないと思っていたかかしは、知恵を絞って仲間を助け、心(愛)がないと思っていたブリキの木こりは、優しさで仲間を救い、臆病なライオンは、仲間を助けるために勇気を出して敵に突進した。
彼らが魔法で手に入れようとしたものは、旅の途中の自分たちが歩いてきた道(黄色いレンガの道として象徴される)で既に手に入れていたのです。
それは、誰かから与えられたのではなく、最初から誰もが持っていたもので、ただ気付かなかっだけなのだと、そして、ドロシーは、手に入れた魔法の靴を使い、なつかしい故郷カンザスへと帰る。
作家、ライマン・フランク・ボームから子供たちへのメッセージが込められている児童文学の名作ともいえる作品で、映画やミュージカル等でも知られている。
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子供の頃よく歌った童謡に「かかし」という題名の歌がある、
” 山田の中の一本足のかかし、天気のよいのに蓑笠着けて
朝から晩までただ立ちどおし、歩けないのか山田のかかし ”
” 山田の中の一本足のかかし、弓矢でおどして力んで居れど
山では烏(からす)がかあかと笑う、耳が無いのか山田のかかし ”
小学校唱歌(作詞:武笠三/作曲:山田源一郎 明治44年)
また、歌手・さだまさしの代表作の一つに同名の歌があり、その一節に、
” 木枯らしが雑木林を転げ落ちて来る、
銀色の毛布つけた田んぼにポツリ、
置き去られて雪をかぶった案山子がひとり、
お前も都会の雪景色の中で丁度あの案山子の様に、
寂しい思いしてはいないか体をこわしてはいないか ”
というのがあり、今でも、この曲を聞くたびに亡き父母のことが思い出される。
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この時期、田んぼに案山子(かかし)の風景は定番であったが、近年はその風景も珍しくなってしまった。
案山子は、一般的には夏の稲の花が開花し、実を付け始める頃より立てられるが俳句では秋の季語となっているようだ。
” からからと 鳴子の音の 空に消え ” (高浜虚子)
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