2013年2月18日月曜日

雨水(うすい)

 雨水(うすい)とは、二十四節気の一つ。 立春の後十五日。 陰暦の正月の中、新暦(現行暦)では2月18~19日ころで、気節がゆるんで雪や氷が解け始め、今まで降っていた雪も水分が雨となって降るようになる意。 『暦便覧』では「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」と記されている。

南北に長い日本列島では、まだまだ冬本番というところも多く、春が待ち焦がれる頃でもある。


「どじょっこ ふなっこ」という童謡の一番の歌詞に「春になれば氷(しが)こも解(と)けてどじょっこだのふなっこだの夜が明けたと思うベナ」とある。
 この歌に関しては豊口清志氏が作詞し、後に秋田を訪れた当時の東京の玉川学園音楽教師であった岡本敏明氏が曲をつけたと言われているが、もともと東北地方に伝わるわらべ歌が元唄ではないかという説もある。

 いずれにしても東北弁の素朴さで四季の情景をユーモラスに唄ったものであり、今ではそんな風景も遠い昔の事となってしまったのだろうか。
 
 昔、何かの本(たしか図書館で読んだものであったと思うが?)に、信州(長野県)のある小学校で理科のテストに「氷が解けたら何になる?」との問いに、「春になる」と答えた女の子がいたとの記事が紹介されたものを読んだことがあった。 
 理科のテストであることからして、本来なら「水」と書くのが正解であるが、その時の担当の女の先生は三重丸を点けてあげたそうである。その素直な感性に感動させられてのことであった。

 この記事の真意のほどはわからないが、2~3年ほど前の朝日新聞の「天声人語」に、これと同様の話が載っていて、確か北海道の60代の女性の子供のころの話として紹介されていたと思うが。
 こちらでは「ゆきはとけるとなにになる?」との問いに、「つちがでて、はるになります」と答えた結果、バツになったという話が紹介されていた。 この時の先生はおそらく男先生だったのではないかなどと勝手に想像するのであるが。

 この方の話が素で先の話に逸話としてつながっていったのかは不明であるが、どちらも雪国の子供の話である。 雪にとだされた長い冬が終わり、暖かい春を待ちわびる子供たちの思いには共通するものがあるのではないだろうか。 そして同じように答えを書いた子供たちが他にもいたのではないだろうか。 雪国という環境が子供としての素直な感性を育んでいったとも想像できる。

 また、先の本の中には別の話として、「春になりおとうさんが帰ってくる」と書いた子供の話もあったと記憶している。 かって雪国では、雪の積もる冬の間は農作業ができないため、父親たちは都会へ「出稼ぎ」に行ったものである。 

 そして雪が解け始め春の農作業の始まるころ、数ヶ月振りに故郷へ帰ってくる父親を村の小さなバス停で待つ母と子供たち。 
 やがて遠くからボンネット・バスがやってくる。御土産を手にバスから降りてきた父親の手をしっかりとにぎり離さない子供たち、そして久し振りに揃った家族が雪解け道を我が家へと帰っていく映像を、かってNHKの「新日本紀行」という番組で見た記憶が思い出されてきた。(45年以上前の話である。)

 そんな時代もあったんだなーと思いながら、でも今の子供たちにも子供の頃に感動したこと、素直な感性を大事にして育っていってほしいものである。